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伊禮斬真の事件ノート
1話〜4話
 
不良少年、伊禮斬真が難解な事件に立ち向かうコメディ推理小説
 


絵、文:水島晴太郎


1.不良少年
 
 暑かった夏も終わりを迎え、時折涼しい風が吹き込む週末の夕刻。
 コンクリートの林に消えゆく太陽を背に、大通りはにぎやかさを増していた。
 この時間帯、道ゆくさまざまな種類の人々の織り成す人間模様が街を形成している。
 そんな流れゆく雑踏に目を凝らす。するとそこには一際目を引く姿が一つ。
 少年である。
 髪は南国の海のような青色に染め上げ、ツンツンに尖らせている。
 額にはバンダナ。
 とんがったサングラスが目尻まで覆っていた。
 紫を基調としたダブダブの服装は、そのあらゆるところに重量のありそうな金属のアクセサリーをジャラジャラとぶら下げている。
 一見、ヤバめの迫力ある格好である。
 が、しかしその体格は極めて非力に見えた。
 身長はすれ違うごく普通のOLよりも明らかに低い。
 大きさに余裕のある服を身に着けてはいるが、体重はそれほどなさそうである。
 サングラスに隠れた表情までは窺えないが、一般的に見れば間違いなくイカれた小学生である。
 その服装と体格のギャップが極めて怪しいせいだろうが、すれ違う人々が目を疑うように振り返る。
 だが、そんなことを知ってか知らずか、彼は両手をポッケに突っ込んで、胸を張り肩を揺らして歩く。
 彼の行く先を人々がざわざわと騒いで道を開ける。
 ・・・かにも見えたが、多くの者は小さすぎる彼に気づきもしない。
 そしてこれは危険なことでもあった。
 老年のサラリーマンがなぜか軽々と振り上げる、何が入っているのか不思議なほどの重いバッグが彼に向かって飛んでくる。
 もろに角の部分が 顎に入って、派手に吹っ飛んでいく。
 少年はかなりの距離を飛行してぽてっと落ちると、手足をピクピクと痙攣させた。
 その上を横綱顔負けのガタイをしたレディが容赦なく踏みつけていく。
 ふぎゃっという断末魔のようなものをあげたが、彼女は気づかなかったようである。
 一度後ろを振り返ったが、何事もなかったかのようにそのまま隣のケーキ屋さんに入っていった。
 それからも道ゆく人々にサッカーボールのように蹴りまわされていたが、まもなくほうほうの体で彼は外に這い出した。
 これらすべてが、いや数人は明らかに憂さ晴らしであったが、概ね不可抗力である。
 少年はよろよろと立ち上がって、服のほこりを払う。
 ぼさぼさになった長く青い髪をかき上げ、首を振った。
 この仕草だけはそれなりに様になっていた。
 と、時を止めて響いた甲高い声は女のものだった。
「だれか助けて!」
 ビルとビルの狭間の真っ暗な路地ともいえぬ場所からである。
 悲鳴に間違いない。
 複数の通行人が耳にした様子だが、ちらっとそちらのほうに目を向けてから、そそくさと立ち去っていく。 触らぬ神に祟り無しとの判断のようである。
 悲鳴は一度きり。
 光の差し込まない路地の奥は不気味なほど静まり返っている。
 しばらくすると何事もなったかのように時間は流れ出し、もはや悲鳴の主に救いの手は差し伸べられそうもない。
 少し離れた場所で、先ほどの青い髪の少年はある程度こぎれいに復活していた。
ズレたサングラスの位置を直すと、タバコに火をつけ、一口だけ吸う。
 すぐにガハッ、ゲハッと激しく咳き込んだ。
 彼はあきらめたように肩をひょいとあげて、まだ吸い始めたばかりのタバコをブーツで踏んだ。
 そして何を思ったのだろうか、細い路地に置かれたガラクタを掻き分けながら、先ほどの悲鳴が聞こえた奥のほうへと姿を消していった。
 よく見ると彼の落としていった吸殻には下手な字で何か書かれている。
「きゅるるるんと斬真参上」
 お腹を壊したのだろうか、まったく意味不明だが、おそらく特に意味はないのだろう。
 くすぶっていた火がまた多くの雑踏の下敷きになっていた。
2.棘のある花
 
〜ここまでのあらすじ〜
ラリったヤンキーのようなへんてこりんな格好の少年、斬真(ざんま)は街角で悲鳴を耳にする。
彼は悲鳴の主を助ける気があるのか、ないのか、のんびりと現場へと向かうのだが・・・
 
 
 大通りから建物の隙間へ入り込み、長い細道を抜けると、そこは高い塀に囲まれたちょっとした広さの空き地だった。
 ところどころに雑草が生い茂り、土管や廃材、スクラップや粗大ごみなどが放置あるいは投棄されている。
 別に広い路地からも、この空き地に繋がっているようだが、それ以外に道はなく、路地とも言いにくい建物の隙間のほうを除けば、そこは袋小路であった。
 そこに女は追い詰められていた。壁を背に逃げ場を失っている。
 ミニスカートにブラウスという薄着が似合う見た目に華のある雰囲気。短めの茶色の髪がそよ風になびいていた。
 小さな泣きぼくろのある瞳は細く、そのつもりはないだろうが、もとより少し眠そうな表情の若い女である。
 彼女は落ち着いた、そしておっとりした声を上げた。
「なんのつもりかしら?」
 そう言われたのは二人の男である。
 双子かと思うほど特徴は一致している。この場に似つかわしくない上質の背広に身を包んだ彼ら。
 重ね着の礼服の上からでもはっきりと分かる暑苦しいほど筋骨たくましい大柄の肉体である。
 顔つきからみればハーフのようだ。長い金髪も天然のものだろう。
 彼らは無言だったが、しばらくしてゆっくりと少し離れた地面を指さした。
 そこにはもう一人、別の女が倒れている。衣類などに乱れはなく、見たところ目立った外傷もない。どうやら気を失っているようだ。
 ただし彼女の腕に引っかかったままのバッグの中身は散乱し、ブランド物の財布が別の場所に投げ捨ててあった。中身は取られているようである。
 その悲惨な姿を横目に、
「ふーん、そう。お金が目当て?」
 泣きぼくろのある女は、怖気づくふうもなく、ああと大きなあくびをする。
 その言葉に冷や汗を少したらしたのは男たちのほうである。
 だが、それもつかの間。
 彼らは瞬きするほどの一瞬に巨体に似合わぬすばやい動きで女に詰め寄り、彼女の細い手首をつかむ。
 男たちの腕力に驚き、遅ればせながら女はわずかに抵抗したが、もみ合った後、観念したようにうなだれた。
 そしてゆっくりと上げた女の顔は・・・かなり笑っていた。男たちが虚をつかれたと見るや、彼女は急所を思い切り蹴り上げる。無理な体勢からに見えたが、非常に柔らかい体を使って器用に鋭い攻撃を仕掛けていた。
 うっと、うめき声を残してその場に座り込んだのは、しかしなぜかそれまで争っていた誰でもなかった。
 青い髪に巻いたバンダナ、その下にはサングラス。紫色の服に巻きついた重そうなアクセサリーが鈍く光っている。
 言うまでもなく、大通りで見かけた少年である。  
 彼は痛々しくズタボロの姿で倒れこんでいる。
 その怪我は、おなかを空かせていた野良猫の集団に襲われたような・・・
 あるいはおとなしく眠っていた野犬の尻尾を過って踏みつけ、手痛い反撃を食らったような・・・
 さもなくば無造作に置かれていた有刺鉄線に、なせかぐるぐる巻きに絡まったような・・・そんな傷跡である。
 おそらくは、そのすべてなのだろう。
 建物の陰から猫の大群が不気味な声とともに走り去り、凶暴そうな犬が遠吠えを上げながら、こちらを覗いている。また長い針金はまだ彼の足に絡まったままである。
 しばらく待つと少年は膝をがくがくさせながら、かろうじて立ち上がった。
 よろよろ歩いて手近な壁にもたれ内ポケットからタバコを手に取る。火をつけて一口だけ吸うと、その場に両手をついて、あり得ないほどむせ返った。
 女は足を上げたままの格好で、ハーフの男はその蹴りをガードした体勢のまま、唖然としている。
 それからどれくらいの時が流れただろう、先に我に返ったのは男たちでのほうである。
 彼女がまだ何の行動も起こす前に、蹴りを受けた男が彼女の足を取り、金髪のもう一人がさっと彼女の後ろに回り込んで口を封じる。
 絶体絶命かと見えたが、この女もさるもの、まるでマジックのように二人の男の腕をすり抜け、すとんと地面にしゃがみこんだ。
 そのまま手を使わずに前転をして距離をとり、いつの間に手にしていたのだろう、錆びた鉄パイプを振り向きざまに高速でスイングした。
 ゴキンという確かな手ごたえとともに、離れた場所からドスンと、ものすごい衝撃音も響く。何かが壁に激突したようである。
 彼女はゆっくりと振り向いた。その整った顔には思わず戦慄するほどの微笑をたたえている。
 金髪の男たちは一歩も動けなかった。青い顔をしている。ただしまったくの無傷で。
 女もすぐに青くなった。
 空き地の反対側の壁まで吹っ飛ばされ、ぴくりとも動かなくなっているのは例の少年である。
 何か堅いもので殴られたように頭からだくだくと血を流している。
 実際、彼女の振り回したパイプは的確に少年の側頭部を捉えていたりする。
 確実に死んだ・・・
 生暖かい風が嫌な感覚を伝えてきた。
 だが、まだ奇跡的に息があるらしい。
「あれ、お母さん。交通事故で死んだはずじゃあ。そっか、生きていたんだね。うん、ぼくも一緒にお花畑に行くよ」
 ぶつぶつとつぶやいている。
 と、そのとき
「おい! お前たち、そこで何をしている!」
 少年が壁にぶつかったときの大きな音を付近の住民が聞きつけてきたのだろう。
 薄暗くなった空き地の入り口に数人の姿がある。
 ハーフの男たちは互いにアイコンタクトを交わす。
 再三、邪魔が入った挙句、ターゲットの女も容易にどうこうできる相手ではない。
 こうなった以上、今回は引き上げようと、そのようにでも言い合ったのだろうか。
 その場を駆け出し一人が踏み台になり、もう一人が塀の上に飛び乗る。さらには塀の上の男が補助をして、下の男も壁を乗り越える。
 こうして彼らは一瞬で姿を消した。
 女はあたふたと辺りを見回して、怪我をしている少年を見つける。彼女はぽんと手を打って何かをひらめいたようだ。
 速攻で少年のところに駆け寄り、彼を抱き起こした。
 住民たちはもうすぐそばまで来ていた。
「君たち、いったい何をし・・・」
 言いかけた男は途中で言葉を飲み込んだ。
 しゃがみこんでいた女がすうっと顔を上げていた。泣きぼくろの上をきらきらと涙が伝っていく。
 さしずめ悲嘆にくれる天女、といえば大げさになるかもしれない。ただもう事態は彼女の表情が概ね解決してしまっていた。
「変な人たちに追われていたんです」
 彼女はぽつりぽつりと話し始めた。
「そのときは友達もいっしょでした」
 男たちは黙り込んで、ただ次の言葉を待つばかりである。
「彼女は抵抗したけど・・・」
 先ほどまで礼服の男たちと争っていた場所を指差す。
 そこにはお金をとられ気絶させられた女がいまだに倒れている。今思えば一番初めに、大通りで耳にした大きな悲鳴の主は彼女だったのかもしれない。
「あたしも危ないところだったんです」
 彼女は肩を抱いて震えた。
「でも見ず知らずのこの子が危険を顧みずに助けてくれて」
 うんうんと住民がうなずく。
「あたしの身代わりになって、こんな姿に・・・」 
 物語はクライマックスを迎えた・・・かに見えたが、
「うそだよう! 最初、この姉ちゃんがあの人をカツアゲして気絶させたんだい! ちゃんと見てたよ! そのあと変な外人たちが襲って来たのはうそじゃないけど、ぼくは姉ちゃんに殴ら・・・ぎゃあ!」
 どこからか取り出したトンカチで少年を沈黙させ、彼女ははらはらと涙をこぼした。
「かわいそうに。記憶が混乱しているのね」
 そして何事もなかったかのように静かにトンカチを置いた。
 もっとも住民たちはそろって一筋の汗流していたが・・・
「と、ところで、その外人たちはどこへ・・・?」
 住民の一人が戸惑いながら口を開いた。
「えっ・・・えーと」
 女は高い塀を見上げ一瞬だけ言葉に詰まったが、
「あっち」
 すぐさま凶暴そうな野良犬がいた先ほどの細い通路を指差した。
「よしきた! ひとまずそいつらを捕まえてやる。急いで救急車も呼んでおいてくれ」
 腕に覚えがあるのだろう、ひげ面のおじさんが腕まくりをして通路のほうへと駆けていった。
「この子はあたしが連れて行きます。良い医者を知っているので」
 女はぎゅぅっと少年を抱きしめた。
 大丈夫かい? と気の弱そうな小柄の男が声をかけたが、どちらかといえば少年の身を案じての言葉だったのだろう。女と足元のトンカチを見比べ、いまだに困惑した表情である。
 女は無言でうなずき、そそくさと荷物をまとめ始めた。
 もうほとんど太陽の明るさを感じなくなった夕暮れの頃である。
 グウゥゥワンワンと吠え立てる犬の怒声と、ひぇぇぇっというおじさんの悲鳴をよそに、少年を抱えた女は空き地から姿を消していくのであった。
3.北風と太陽
 
〜ここまでのあらすじ〜
ラリったヤンキーのようなへんてこりんな格好の少年、斬真(ざんま)は街角で悲鳴を耳にする。
その現場で彼が目にしたものは、女性を恐喝している女の子、彩(さや)と、どういったわけか彼女の前に立ちはだかる双子のようなハーフの男たちであった。
斬真はその争いの現場に首を突っ込んで、流れ弾ならぬ流れ鉄パイプを彩にお見舞いされる。
さらに止めを刺された斬真は彩に担がれ、現場から連れ去られるのだった・・・
 
 
 ネオンに彩られた夜のメインストリート周辺は圧倒的なまでの熱気と盛り上がりを見せていた。
 通りに軒を連ねる比較的、上流階層向けの食事やショッピングスポット、その他の娯楽施設に出入りするのは洗練されたファッションの裕福そうな若者と高級な服とアクセサリーを身につけたセレブリティーたちである。
 その中にあってなお、いやがうえにも存在感を感じさせる美貌の娘が歩いていた。
 真っ直でつやのある黒髪が、さらさらと音でも立てそうなほど見事に揺れて、うそをつくのが下手そうな大きな瞳がやさしそうに開かれていた。
 黒っぽいワンピースには品のある細やかなデザインが所狭しと施してあった。
「ああ、もうこんな時間。遅刻しちゃうよ〜」
 かすかな独り言をもらして、小さな腕時計を覗いて小走りに進む。
「あのぅ、美島夕さんですよね?」
 ふいに横から声をかけられて娘は立ち止まった。
 見ると、しばらく切ってなさそうなぼさぼさの長い髪のひょろっとした青年がもじもじと立っている。
 突然のことだったが慣れている様子で、美島夕と呼ばれた娘は笑顔でうなずいた。
「新統映劇団の公演はいつも欠かさずに見ています。夕さんの大ファンなんです」
「そうですか、ありがとうございます」
 お辞儀をする彼女はどうやら、劇団女優のようである。
「あのサインをお願いしてもいいですか?」
「えっ・・・と、少しだけ急いでいるんだけど」
 と、小さく口にしたが差し出されたくしゃくしゃの紙切れとボールペンを受け取って、言われたとおりにサインをした。紙きれを返した後に青年と握手する。
 素直な性格をしているのだろう、美島夕はその後も、口下手な青年が続ける多くの質問に付き合って、最近の公演のこと、発売された劇団のビデオのこと、ほかの女優のことなどを笑って話した。
 最後にもう一度握手をしてから、青年は握ってもらった手を大事そうに抱えて去っていった。
 彼の後ろ姿を見送っていたが、あっと口に手を当てて、あわててバッグからケータイを取り出す。
 話し込んでいる間にかなりの時間が経ってしまっていた。
 約束の時間には間に合わない。ひとまず待たせている相手に連絡を入れておこう、そのようにでも思いついたのか。
 耳に当てたおしゃれな赤い携帯電話から呼び出し音が漏れる。
 しかし相手は取り込み中なのか、なかなか電話を取らない。
 繋がるのを待っている間、大きな宮殿のようなレストランのその横、奥へと続く細い通路の前に立って、奥の暗がりを見るともなしに見ていた。
 通路にはレストランの壁沿いに大型の青いポリバケツがずらりと並んでいる。
 普段はレストランの営業終了後、業者が回収に来るはずである。
 そこでホームレスが残飯でも漁っているのだろうか、ごそごそとビニール袋を開いている者がいる。
 それ自体はそれほど驚くほどの光景ではなかったが、よく目を凝らすと若い女のようである。
「・・・そういうこともあるのかな・・・」
 そうつぶやいてみるが、美島夕はなんとなく腑に落ちず、なかなか目が放せない様子である。
 すると、残飯を漁っていた女がバッグから何かを取り出すのが見える。
 と、そのとき電話が繋がった。もしもしと相手の声が聞こえる。
 美島夕は細い通路から大通りに目を向けた。
 見渡す限りの人の流れは留まるところを知らないようである。
「あ、夕だけど。彩、ごめんなさい。待ち合わせの時間より少し遅れそうなの」
 彩という名の電話の相手に見えるはずもないが、空いている手を使い、片目を瞑って謝っている。
「実はまだあたしもお店についてないの。近くまでは来ているんだけど」
 電話の相手はハスキーな声。本来、周辺の第三者が耳にするケータイから漏れる微量の音よりも、なぜかその声はずっと鮮明に響いていた。
 相手の声は電話機からというよりは、どこか別の場所から聞こえる感じもする。
 夕がなんとなく通路のほうを振り返ると、残飯を漁っていたホームレスの女も通話中のようだ。
 しばらく話をしながら、夕はふと首を傾げた。
 タイミング的に夕が話し終えるのと、通路の奥のホームレスの女が話し始めるのが一致している感がある。
「彩は今、どの辺り?」
 夕が尋ねた。耳を澄ませて女の声を待つ。
「なんて言えばいいのかしら、ここは・・・」
 答えているのはホームレスの女。ケータイ片手に周りをきょろきょろ見回している。
「レストランのすぐ隣ね。ここはちょっと臭い所ね。表通りから少し離れたところよ」
 ケータイから返ってくるのも同じ答え。
 もはや電話の相手が、目の前にいるホームレス女であるのは疑うべくもない。
 夕は電話を切って、おもむろに近づく。
 そこには茶髪をソバージュにした後姿。ミニスカートをつけた服装はどこかで見た覚えがある。
「ちょっと彩、そこで何をしているの?」
 夕は腕組みして彩の真後ろに立った。
 彩はまだ電話の相手がすぐ後ろにいることに気づかないようである。ケータイに話しかける。
「ちょっと面倒なことになっちゃったのよ」
 面倒なこと? と聞き返しながら夕は彩の肩越しに大きな青いポリバケツを覗き込んだ。
「彩・・・これ・・・何・・・してるのかな・・・? 男の子をゴミの中に埋めたりして」
「へえ、すご〜い! どうして分かるの?」
「うれしそうに答えないで。彩の後ろにいるの。それよりこれってどういうこと?」
 彩は振り向いて、うわっとのけぞったが、すぐに寂しげな表情になった。
 それは泣きぼくろのある女である。小一時間ほど前に空き地で怪しいハーフの男たちに襲われた女であった。
 女はいつの間にかうっすらと涙を浮かべていた。
「・・・話せば長くなるのよ。つまり・・・かくかくしかじかってわけ」
「かくかく・・・ってそういうつまらないギャグは、よしてほしいな」
 彩の言葉を冷たく一蹴して夕が詰め寄る。横目に少年を見るとひどい有様である。
 彼はポリバケツの中に座らされ、その上から残飯で埋められかけている。
 青い髪にバンダナとサングラスをつけた少年である。紫色の服と重そうな金属のアクセサリーも特徴的である。
 彼はいたるところに怪我をして意識もない様子。あらゆる食材にまみれて、ひどい異臭がまとわりついている。
 夕にきっと睨まれて、少し冷や汗をかきながら彩が顔を引きつらせた。
「そんなに怖い顔しないでよ。かわいい顔が台無し。あたしはこの子を助けてあげたかっただけよ。でもこんな姿だし、どこに連れて行っていいのか分らなくて」
「だからってごみと一緒に捨てないで! 死んじゃうでしょう」
 糾弾された彩はうつむいて涙を拭った。それからしばらくして、ぱっと上げた顔は晴れやかに微笑んでいた。
「何も見なかったことにして行きましょう」
「だからダメよ、そんなの」
 彩のこんな態度には慣れたものなのか、夕は呆れ顔で小さくため息をついた。
 夕の意気がくじかれたと見るや、彩はバッグからぺろっと紙を取り出す。
 意地悪に笑って夕の目の前に突きつける。
「素直に従わないと、このいぎたなく枕に抱きついている写真、バラ撒くわよ」
「そ、そんなもの、いつの間に」
 夕が青い顔をして写真を奪おうとする。それをひょいとかわして彩が写真をえさにこの場から夕を連れ出そうと試みる。
「ささ、こっち」
「そうはいなかいよ。だってこんなにけがもしているんだもの。この子は後で家に帰すにしても一旦、劇団の寮に連れて帰って手当てしてあげよう? それに管理人さんに頼めば一日くらい空き部屋を貸してもらえるかも」
「う〜ん、頑固ね」
 彩が肩をすくめてそっぽを向いた。
「あ、気がついたみたい。ほら、君、大丈夫?」
 少年はサングラスをかけ直して、とりあえず顔にかかった残飯を拭った。
 夕が手を差し伸べて出してあげる。少年はかなりの重傷かに思えたが、見た目よりはるかに元気にポリバケツから一回転しながら飛び出してきた。
「ありがと〜」
 話を途中から聞いていたのだろう、彼は喜んで出てきた勢いのままジャンプした。
「きゃあ、その格好で抱きつかな・・・ひっ・・・」
 あっという間に居心地よさそうに腕の中に納まった少年を、夕はだぁっと泣きながら見下ろした。
「こんなになついてるんだから、もし空き部屋がダメでも夕の部屋に泊めてあげなさいな」
 彩はもう大通りに向かって歩き始めていた。
「無責任なこと言わないでよ〜」
 夕があわてて彼女の後を追う。
 夕たちが騒いでいたさらにその奥、暗がりの中に隠れて、去りゆく3人を見つめる瞳があることに、そのときはまだ誰も気づいていないようであった。
4.悪魔のはらわた
 
〜ここまでのあらすじ〜
ラリったヤンキーのようなへんてこりんな格好の少年、斬真(ざんま)は街角で悲鳴を耳にする。
その現場で彼が目にしたものは、女性を恐喝している女の子、彩(さや)の姿だった。
なりゆきで斬真に致命傷を負わせた彩は、彼を人目のつかないゴミ箱へ捨てようとする。
だが間一髪彩と同じ劇団の女優、夕に出会い、救い出される。
斬真は彼女たちの寮へと運ばれ、危機を脱したはずだったが・・・
 
 
「で〜きたっと。こんな感じでどうかな?」
白いフロア。
広い部屋の中である。
大きめの丸いテーブルといすが3脚セットで、6つほど置かれている。
一つのテーブルの上に小さな救急箱が口を開けており、その周りに絆創膏や消毒液の小瓶などが並べられている。
テーブルを囲んでいるのは二人。
一人は例の髪を青く染めた子どもである。
傷の処置はある程度終えていた。
シャワーを浴びた後らしい、彼の髪は軟らかく、先ほどまでのようにとんがったセットはされていない。
こうしてみるとサングラスの上からかかる彼の髪が結構な長さだということがはっきりと分かる。
もう一人は夕と名の女である。
年のころは10代半ばから後半といったところか。
やさしそうな大きな瞳に少年の姿が映っている。
彼らはいるのは先ほどのレストランから最寄の駅に移って、電車で15分ほど移動した所。
見渡せば人工のものではあるが、比較的緑の多い場所である。
広い敷地にある建物の入り口横には「新統映劇団女子寮」と書かれた札が掛けられている。
その建物の一室である。
「君、名前は?」
夕のショートの黒髪が揺れた。
「伊禮斬真だよ.」
バンダナの代わりに今は白い包帯。
彼は夕に貸してもらったデニムの上着の上にアクセサリーを取りつけている最中である。
「ふ〜ん、斬真くんか。不思議な名前だね」
興味津々の様子で斬真を見つめている。
「これで大丈夫だよね?」
いろんな角度から彼の様子を見て
「これ以上包帯をぐるぐる巻きにするのはちょっとね。せっかくこんなにカッコイイんだから」
ふふっと微笑んでから彼の頭を撫でた。
とそこへ。
「なに、いちゃいちゃしてるの。ほら、夕食作ってあげたわよ」
大きな鍋を持って別の女が割って入る。
同時にその鍋から鋭い刺激臭が立ち込める。
「いちゃいちゃなんて・・・あ・・・え? 彩が・・・夕食・・・作ってくれたの?」
夕が振り向いた拍子に薬の小瓶がかたんとフロアに落ちた。
だがそれにも気づかない様子で彼女は呆然としていた。
「だからそう言ってるじゃないの。何よ?」
少しムッとした表情の彩。
鍋をテーブルに置いて腕組みをする。
「う、ううん、なんでもないよ・・・う、うれしいな・・・お、おなかすいてたんだ」
夕は大げさに動揺しながら、あたふたと救急箱を片付ける。
明らかに不自然ではあったが、その答えで彩の表情が一変する。
彩はきらきらと輝く笑顔になって「でしょ?」っとウインクした。
冷や汗をたらしながら夕は、ははは・・・と小さく乾いた笑い声を上げた。
重い鍋の蓋を取るとそこにはかなり粘度高い液体がなみなみと入っている。
全体的には黒っぽい緑色をしていた。
たくさんの色の絵の具を混ぜたらちょうどこのような感じになるだろうか。
その中から見たこともないコバルトブルーのいびつな背びれがのぞいている。
それに判然とはしないが、巨大な爬虫類のしっぽのようなものがべろんと縁から飛び出ていた。
おそらくは日本ではあまり見かけない大きさ。
もちろん食用で売っているはずもないが。
火にかけているわけでもないのに、ぷくぷくと気泡が絶え間なく浮かび上がっているのも不自然極まりなかった。
「ささ、早く食べてみて」
彩が深い大皿にかいがいしく不気味な色の液体をよそって、うれしそうに夕の手に無理やり箸を持たせた。
「あ・・・ははは・・・」
夕は笑いながら目にいっぱい涙をためて彩を見つめていたが、彼女も夕をにこにことみつめ返してくる。
やがてこのままでは埒があかないことを悟ったのか、夕が恐る恐る箸を伸ばす。
箸は液体の中でやけに大きなブツ切りの具に突き刺さる。
そしてドボンと不透明の液体から引き上げてみると。
「きゃあああ!!」
大きな蛙である。
しかも人の顔にそっくりな。
思わず箸ごと、鍋の中に投げ捨ててから。
「え〜ん、怖いよ〜!」
立ち上がって彩の首を締め、ぐいぐい揺らしながら、大泣きに泣く。
「く、くるしい・・・何よ、この子はいきなり」
彩が半狂乱の夕を振りほどく。
夕は力尽きたようにへたっといすに座り込んだ。
「顔さえ見なければ大丈夫よ」
彩がそう言うと、がしっと夕の頭を押さえて、例の蛙を無理やり口に入れさせようとする。
抵抗する夕の眼前で力は拮抗したまま、蛙はうつろに彼女を見つめている。
しかし徐々に押されてもう唇に触れるとことまで迫ったとき。
「ちょっとお待ちなさい!」
突如、響いた救いの声は、それまでの誰のものではない。
背後からの大きな声に斬真は驚いて椅子ごとひっくり返っていた。
そして彼は仰向けになったまま恐るべきものを目にしていた。
「あ、あああ・・・・・!!!!」
それは生首だった。
窓枠の上辺から重力に逆らって女の首が生えている。
彼は凍りついたまま動けない。ただあうあうと口を動かしているばかりである。
その横を彩が通り、無言でそれに近づく
逆さの生首と触れるくらいに顔を寄せてから、思いっきりスリッパでひっぱたいた。
「痛い!」
普通に生首は悲鳴を上げた。
彩は何事もなかったかのようにスリッパを履きなおす。
「迷惑ことしないで、ゆきネエ。今からおもしろいところだったのに」
「おもしろいところ?」
夕が静かに突っ込んだが、誰も取り合わなかった。
その代わりに。
「抜け駆けはなしよ。なんだかたまらなくおいしそうな香りがするじゃない」
微塵のうそもなく、ゆきネエとよばれた女の顔を逆様に大量のよだれが伝っていく。
その様子から、さすがの彩も目をそらしながら。
「ほしけりゃ食べていってもいいわよ」
彩がゆきネエに背を向けて戻ってくる。
「ほほほ・・・それではお言葉に甘えて」
窓枠からずるっと部屋の中に滑り落ちて、ぺたっと四つんばいで立つ。
寝巻きにしているのだろうか、宗教的な白装束に身を包んだそれは、そのまま異常な速度でカサカサと音を立ててテーブルまで移動してから、ゆっくりと立ち上がる。
身長は高く、その割に細い。
顔に長いぼさぼさの濡れそぼった髪がかかって、その奥の白目のない瞳はホラー映画さながらである。
ゆきネエは高く跳躍して裸足でテーブルに降り立つと、オオトカゲ?の尻尾をわしづかみにする。
かなりの大きさとグロさだったが上を向いて一口にほおばった。
バリボリと骨を砕いて飲み込む。
「あは! おいしいわ!!」
叫ぶか早いか鍋ごと持ち上げてグビグビと何もかもを胃の中に収めていく。
途中ゴキブリのようなものが数匹流れ込んでいったが、斬真は静かに目を背けた。
人面蛙のショックからまだ立ち直りきっていない夕の肩を揺さぶる。
「よ、妖怪だ・・・なんだか変だよ、こいつ」
斬真は怯えながらつぶやいた。
「いいえ、れっきとした人間よ。とゆ〜より、うちの劇団員だし。」
答えたのは彩。さも当然というように。
彼女はテレビのリモコンを手にして、おもしろい番組を探し始めていた。
とあるチャンネルに目を留めながら、
「仕方ないのよ。ここから二つ上の階がちょうどゆきネエの部屋なんだから」
どこが仕方ないのだろう、そんな疑問を斬真は唾と一緒に飲み込んだ。
「さあ早く、あんたたちも食べなさいな。全部なくなっちゃうわよ」
目はスクリーンに釘付けのまま適当なことを言う。
だが彩のいうとおり、もう鍋のほうは概ね片付いていた。
もちろんゆきネエがすべて平らげようとしている。
それはたいへん喜ばしいことではあったが。
問題は一皿だけ夕の前に残されているものである。
夕はスプーンをとって、左手をひざの上で拳に握った。
そのままどれくらいの時間が流れただろう。
「ねえねえ夕、これ見て、ほら、ははは」
彩はもう完全に自分の作った料理のことは失念したらしい。
気楽にお笑い番組などを見てけらけらと笑っている。
そんな彩とは裏腹に、夕は意を決して救い上げた液体を、目を瞑って口に含んだ。
なるべく味わわないように、すぐに飲み込もうとする。
がしかし、ごほっと口の中でむせると、ほっぺたをぱんぱんに膨らませたまま動きが止まる。
凄絶な表情をしながら、夕が涙目で斬真を見る。
彼はがたがたと震えながら心配そうに彼女を見返していた。
「ねえ、なんとか言って・・・ぷっ、何でそんなおもしろい顔してるの? 夕もお笑い志望?」
上機嫌の彩が夕の膨らんだ顔に爆笑する。
「あ、そうそう、味はどう?」
ごくっと大きな音を立てて口の中のものをなんとか飲み下して、夕は一気にコップの水を飲み干した。
「・・・餓死しそうなときは・・・死ぬ覚悟で食べられるかも・・・ううん、これは自殺のときにいいね」
「食べれる? そんなの当然でしょ? おいしいかどうかを聞いてるのよ」
まったく意味を理解していない彩が問い返す。
「・・・おいしい?・・・そう・・・おい・・・しい・・・ってどおゆう意味だったかしら?・・・そうね・・・おいしいのね・・・きっと・・・」
遠いところを見つめたまま夕が独白し続ける。
「しっかりして、姉ちゃん!」
「そう、よかった。実はあたし、うまくできたか心配だったの。今度また作ってあげるからね! それ全部食べたら、後片付けしておいてね。キッチンそのままにしてあるから」
違う世界に行きかけている夕に代わって。
「ちょっとまって! あんたは食べないのっ? 今後の勉強のためにも味見だけでもしてみたら?」
斬真が突っ込んでみるが。
「ん? 勉強? どーゆー意味?」
純粋に疑問に思ったらしい。彩はまっすぐに問い返してくる。
「もういいよ。なんでもない」
料理の味以前の問題を、このハチャメチャな相手に説明することがものすごく難しい。
斬真は首を横に振った。
実際にはこの会話自体今の彩には特に意味のないことなのだろう。
きゃははは!っと彩はまたお笑い番組に戻ったようだ。
「あの人も見てないし、そんなの食べなくても」
斬真が夕に耳打ちする。
「でもせっかく作ってくれたから・・・」
悲痛な面持ちでスプーンを再び口に運ぶのだった。
その様子を見てぎゅるるっと斬真のおなかが鳴る。
「一口だけもらってもいい?」
「え、もちろんいいけど・・・大丈夫かな・・・」
夕はしばらく迷っていたが、力なく皿とスプーンを渡す。
受け取って斬真は一息に口に含むが。
「ううううううううう!!!」
斬真は顔色を変えて部屋から出て行く。
それからしばらくすると。
再び全速力で斬真が戻ってくる。
「たいへんだあ!姉ちゃん、キッチンがボヤに・・・・」
戻ってきた彼が見た光景は。
「ううううう!!」
「うひゃひゃひゃ!!」
「ほほほ・・・ぺろぺろ・・・ほほほ」
おなかを押さえて、青い顔でうずくまっている夕。
どんどんとテーブルを叩いてコントに爆笑している彩。
そして、ゆきネエは天井のランプからぶら下がって、微笑みながら丹念に手を舐めている。
「なんだこりゃあ! 火が回っちゃうよお!」
とりあえず雪ネエには目をあわさないようにして、斬真が消火器を持って飛び出していく。
こうして何がなんだか分からないうちにも、夜は静かに更けていくようであった。

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